こんにちは、石原あゆです。
こちらのページを見ていただき、ありがとうございます!
私は現在、医療ライターとして起業し、数多くの企業様からお仕事をいただきながら、Webライティングで稼ぎ続けたい方のサポートをしています。
医療ライターである私が請け負っている仕事は、簡単にまとめると以下のとおりです。
- 病院やクリニックのホームページ制作
- 疾患記事やSEO記事
- Webサイトの記事監修
- ドクターへの取材
- 自治体の広報作り
- SNS運用代行
- コンテンツ制作
- 資料やスライド制作
これらの仕事を企業や病院から受注し、現在はパートをしなくても生活できるようになりました。
これまで約10年以上の現場で働いた、看護師と保健師の仕事をやめて、2019年からスタートしたWebライターの仕事は、今では生活の中心となっています。
今では子どもの体調不良でも休ませられて、平日に旅行をすることもできて、離婚しても生活の不安がなくなりました。
シングルマザーでも不自由なく暮らせて、心もカラダも、そして経済的にも豊かな毎日を送れるようになれたのは、紛れもなく、この仕事に出会えたおかげです。
そして、大変光栄なことに最近は「医療ライターで活躍している人」として、オンラインでセミナー講師をしたり、インタビューを受けたりすることが増えてきました。
今では「石原さんのように、私も活躍してみたい!」と言われることが多くなりましたが、このような立場になるまでに何年もかかりました。
そして、順調にここまでやってきたわけでもありません。
Webビジネスをはじめてから、生活できる収入が得られる状態になるまで約3年以上かかりました。仕事や家庭、そして夫婦関係においてさまざまな困難を乗り越えて“今”があります。
- 医療の資格があるのに、現場で働かない道を選んだこと
- 周りから「資格があるのにもったいない」と言われたこと
- 「医療ライターは需要がない」と言われたこと
- 無収入の状況で、元夫の不貞が発覚し絶望したこと
- 自分と子どもの将来が不安で、真っ暗になったこと
これらの葛藤を抱きながら、先導してくれる先輩がいない状況で、コツコツと努力と試行錯誤を繰り返した結果、医療ライターで月100万円を達成できる自分に成長したのです。
今は、シングルマザーで近くに実親がおらず、時間を有限に使える環境ではありません。それでも正しい道のりと自分に適した方法で仕事をすれば、誰でも目標を達成できるものと実感しています。
日々の仕事で多くの医療従事者の方から相談を受ける中、一つの願いが生まれました。
それは、『医療従事者として資格を活かせる仕事は、現場だけではないと伝えたい』ということです。
医療現場で働く日々が辛い人、辞めたくても、生活のために辞められない人、苦労して取った資格だから、現場で働くのが当然と思う人・・・このような思いを抱えながら今日も働いている方は多いのです。
さらに、子育て中で復職できない人、家庭の事情で、働きに出る必要がある人・・・このような方も多いと思います。
多くの葛藤や失敗、別れを経験してきた私だからこそ伝えられることがあると感じたのです。
ただの“病院勤めの看護師”だった私が、文字を書くことを生業にして、在宅で仕事をしながら月100万円を超える医療ライターになれたのか。その起業ヒストリーをお話します。
「現状を少しでも変化させたい」「Webビジネスを始めてみたい」「Webライターとしてもっと高みを目指したい」という方の背中を押す、一つのきっかけになれば嬉しいです。
病院で働くこと以外、知らなかった20代
私は1987年、東北地方の田舎に生まれました。
会社を経営している祖父と医師を目指す兄、そして、教師が多い家庭でした。そんな家庭環境から、幼少期から自然に社会貢献できる職業に就くことを考えていました。
中学、高校は成績優秀といわれ大きな苦労なく10代を過ごし、地元の国立大学医学部に入学しました。学生時代、当然ながら授業では「看護師は病院で働くもの」「保健師は行政で働くもの」と。これ以外、教えてもらえなかったと思います。
実習や実技、卒業研究、卒業試験をこなし、国家試験も合格し、そのまま同じ大学の大学病院に就職したのです。
当時は、私も周りの友達も病院や行政以外で働く方法を知らなかったから。そうやって、大学病院で4年間必死に働きました。
プリセプターやリーダー業務、医師の指示受けなど一通りを経験していくうちに、病棟の特色や不規則な勤務から無月経排卵で婦人科に通うようになりました。そんなとき、私は思ったのです。「このままここで働いて、何が楽しいんだろう」と。
“自分探し”のために5回の転職を繰り返す
26歳になった私は、看護師として病院で働くことを辞めて、行政の保健師になろうと決めました。
その後、大学病院で仕事をしながら休みの日は予備校で公務員の勉強をして、地元の採用試験を受験しました。しかし、本気でなりたい仕事ではなく妥協もあったせいか不合格を連発。
ただ、運が良く知り合いからの紹介を受けて、行政保健師の代替職員として1年間、保健所で働くことになったのです。ここから、私の自分探しがスタートします。
1年間の保健所では、行政保健師の仕事内容が私に合わないことに気づき、「もっと楽しい仕事をしたい」と民間の健診センターで保健師の仕事をしました。
5年間、健診センターで看護師と保健師業務を経験し、30歳になる手前、知り合った年下の彼氏(当時)と結婚しました。
そして、ありがたいことに子どもを授かったのですが、「胎児発育不全と羊水減少」と診断を受けて、妊娠30週目頃から管理入院となりました。
出産するまで入院だったこともあり、この入院をきっかけに、5年間勤めた職場を退職。保健師や看護師の資格があるのにもかかわらず、無収入となりました。
無事に出産し、退院したあと産後すぐから約1ヶ月間は、NICUにいる我が子に母乳を届ける日々。たった数分の面会時間でしたが、かけがえのない時間でした。無事にNICUから退院し、その後3年間は育児に専念する日々でした。
この時から、少しでも家計の足しにしたい、お小遣い稼ぎでもいいから何か仕事をしたい、そう思うようになり、知り合いの医師が開業したクリニックでパート看護師から復職しました。
でも、子どもの発熱や体調不良で出勤できずに休みの連絡をする日が続き、「やっぱり、子どもを育てながら看護師の仕事を続けるのは、私には無理かもしれない・・・」
こんな思いで悩み、パート看護師も辞めなければなりませんでした。
それからは、子どもを見ながら在宅で働ける「看護師」「保健師」の仕事を必死に探しました。
そんなときに知ったのは、オンラインで健康相談を行う保健師の仕事。早速、運営企業に登録し、研修やロールプレイングを行い、いよいよ仕事を始めようと準備をしていたときです。
愛する我が子が、熱性けいれんで直立から後ろに転倒し、しばらく意識が戻らず、救急搬送される事態が起こりました。
予定していたオンラインの仕事はキャンセルしなければならず、また、仕事をスタートさせることはできない状況で、休会することになりました。
そのとき私は、「誰かに雇われる働き方を辞めよう!」そう決めたのです。漠然とした考えではありましたが、「なんとかなるだろう」と動き出しました。
『ブログ』を知りWebビジネスが始まるも、月3万円すら稼げない日々
最初に始めたのは、ブログでした。アメブロやはてなブログのような誰でも無料で始められるものからスタートし、YouTubeで見ていたブロガーを真似して、初めてお金を出して自分のブログを作ったのです。
私と同じように、子育てしながらブログで収入を得ているママブロガーが多くいました。「数ヶ月後には、私も20万円とか稼いでるんだー♪」とルンルン気分で、自分の好きなようにブログを書きました。
しかし、当然のようにお金は“簡単に”稼げるわけがありません。よく思い出してみれば、大学病院で看護師1年目の給料は、最初16万円くらいからスタートでした。
その後、健診センターでは17万円くらい。なのに、適当に好き勝手、ブログを書いて自然にお金が入るなんて、当時は本気で
思い込んでいました。
そうやって、ゆるく始めたブログは月〇〇円の稼ぎというレベルではなく、累計で3万円も稼げないそんな半年が続きました。
ワンオペ育児&無収入の状況で離婚騒動
自分の好きなようにブログを書いて、当時のTwitterでブログ仲間と楽しくおしゃべりをする、そんな日々を過ごしていました。
在宅で働くこと、誰にも雇われずに仕事をすること、そういう想いでできることを探したのに、なぜか“遊び半分”でブログをやってしまっていました。
「夫がちゃんと仕事しているし」
「どうせダメなら、看護の仕事に復帰すればいいし」
「私はワンオペで育児をしてるんだから」
といった甘えがあったから。
実際に、夫(元夫ですが、ここでは夫)は公務員で収入は安定しているし、私と子どもが起きている時間、夫は帰宅しないので、出産してから離婚するまでずっとワンオペでした。
休日も夫は不在なので、私自身、子どもを任せて外出したことはありませんでした。子育てや家事、家のことすべてを私一人でやっているので、外に働きに出ることも難しい。
時間がない中で、在宅で仕事をすること自体も難しく、出産してから4年間は、ワンオペ育児&無収入の状態でした。
「看護師と保健師の資格があるのに、パートで働きに行くことすら難しい…」
「家で何か始めたくても、自分の時間なんて無い…」
少しずつ、将来への不安と家のことも子育ても全くしない、夫への苛立ちで子どもを寝かしつけた後に毎晩、泣いていました。そんなある日、思ってもいなかった事態が起こりました。
詳しい話は割愛しますが、この瞬間から私の人生は大きく変動したと言っても過言ではありません。
その頃の私はワンオペ育児で、友達と飲み会や旅行には1回も行かず、家で子どもと二人、いつも一緒にいるそんな状態でした。
そして自分の収入もないので、経済的な理由で離婚できない状態です。こんな状態から、私は少しずつ本気で将来を考え始めました。夫と離婚しシングルマザーとなり、子どもと二人で幸せに暮らす将来のために…
ブログから『Webライター』へ、徐々に成果を出しはじめる
実は、ブログを始めていた頃から夫との暮らしに限界が来ていました。そこから、本格的に在宅で仕事をすることに力を入れます。
たまたまブログ仲間から紹介されて、その時初めて『Webライター』を経験しました。最初は、1記事600円という安い価格で
仕事をこなしていくうちに、コツコツと仕事をしていた成果が少しずつ芽を出しました。
Webライターの仕事で、通帳に初めて1万円が入金されているのを見たとき、自分の書いた記事が、ネット上に掲載されているのを見たとき、ものすごく感動したことを覚えています。
ただ、周りでWebライターをやっている仲間は、「1記事書いて4万円!」「有名なメディアの記事書いてるよ!」なんて人がたくさんいました。
そこで、私はふと思うのです。
「私なんて、まだ月数円しかもらえない」
「自分に甘いのかな」
「もっと高い料金で仕事しなければ」
目標とするWebライターはおらず、試行錯誤を続けて、自分のスキルを高めるために、いろいろなコミュニティに所属したり、教材を購入して勉強したりしました。
目の前にいる、お仕事をいただく方々を大切にしました。そうやっていくうちに、少しずつ自分の力でお金を得ることに対して、力をつけてきたと思います。
在宅で月100万円を達成し、『医療ライター』として起業
Webライターとして仕事を始めてから、約3年が経った2022年には、なんと、Webライティングだけで在宅にいながら月収100万円を達成。
その経験があったことで、周りのWebライターさんからたくさんの相談を受けるようになりました。多くのフリーランス、個人事業主とお話する中で、私はこの仕事を同じように在宅で稼ぎたい方達に広めていきたいと思うようになったのです。
そして、これまでWebライターとして仕事を受注していたところを「医療ライター」と名乗り、SNSやホームページを活用して周りにアピールするようになりました。
その結果、とある有名なブロガーのインフルエンサーが開催するセミナーで講師としてお話する機会をいただき、さらに自分が所属しているコミュニティ内で特別インタビューを受ける機会が舞い込みました。
そこからは、多くの医療職に関わる方々やWebライターさんから
「石原さんのような医療ライターを目指しています!」
「どうやってお仕事を取っているんですか?」
「本当に尊敬します!」
といった言葉をいただけるようになりました。
2019年〜2022年にかけて、たくさん失敗と悔しい思いを経験し、ここまで登って来られたのは過去の私が、在宅で仕事をすることを諦めなかったからと思っています。
シンママでも諦めず、大切な周りの人たちを幸せにしたい
私は2023年にシンママになりました。
- 子どもを優先した生活
- 子どもの体調不良があれば仕事はできない
- 生活や経済的な面で不安が常にある
- 再婚したい気持ちはないわけではない
このような想いをずっと持ち続けています。
とにかく1日1日の時間が足りません。子育て、家事、仕事など、全てを自分の手でしなければならず、たまに心が折れそうになる時があります。
でも、「シンママだから〜」というレッテルを貼られたくないし、私が医療ライターとして活躍している姿をお見せすることで、少しでも「私も頑張らないと」と思ってもらえるようにしたいんです。
それに、ママが頑張る姿を見せられれば、母子家庭で育ったとしても、子どもにとって良い影響を与えるはずだとそう信じしています。
私にとって大切なのは子どもや両親、兄弟とその家族です。それに加えて、私に関わってくれる人たちやお仕事の仲間たち、大切なお客様たち、周りの人たちを幸せにしたいと思っています。
そのために、私はこれまでも、そしてこれからも発信者として多くの想いを伝えていきたいです。
ただの『医療ライター』にとどまらず、医療の発展に貢献できる起業家を目指して
今の私は、医療ライターとして企業やクリニックの院長、地域の自治体の方々などからお仕事をいただいて、生活をしているフリーランスです。
でも、これから先はただの医療ライターにとどまることなく、
- 病院やクリニックの集患支援
- 医療従事者のコミュニティ作り
- 医療従事者の独立、起業サポート
- Webライティングの仕事をしたい方へのサポート
といった、さまざまなサポートをしたいと強く考えています。
さらに、
- 地域の健康増進
- 地域の保健室
- 労働者の健康増進
- 事業者の健康経営
といった、地域や産業保健に関する支援も行いたいんです。
このように、医療の発展に貢献できる起業家を目指してスケールアップをしていきます。今は土台を作っている段階だと思い、コツコツと仕事をしているのです。
ライターの仕事や起業を通じて、”Webライティングで稼ぎ続ける”を実現して欲しい
ここまで、私の想いをたくさん綴ってきました。このレポートを読んでいるあなたは、Webライティングに興味があり、生活できるくらい稼ぎたい方だと思っています。
Webライターや医療ライターの仕事というのは、多くの方にとって「本業のほかで収入を得る」方法として、心からおすすめできる仕事です。
なぜなら、Webライティングというスキルが備われば、一生食いっぱぐれのない自分になれるからです。今は、想像できないかもしれませんが、正しい方向で適切な努力を続けていけば、誰でも必ず実現できます。
「看護師の資格があるのに、病院で働かないのは勿体無い」
「医療系の資格をとったのに、どうして勤めないの?」
などの言葉を聞く反面、
医療ライターをしている仲間からは、
「もう現場には戻れない」
「こんなにやりがいのある仕事だと思わなかった」
などの嬉しい言葉も聞かれています。
私自身、せっかく看護師と保健師の資格があるので、どうにかして資格を活かせる仕事をしないとと思っていました。
そんな時に出会った「医療ライター」という仕事は、今では私の生活にはなくてはならないものです。
もし、医療ライターとして突き詰めていくことを目指していなくても、この仕事で得られたスキルは、この先、あなたが何かで独立・起業したときに必ず役に立つと断言します。
世の中の仕事というのは、「相手が必要とするものを提供する」ことだからです。サービスを提供するとき、商品を購入するとき、いつでも「文字を扱う」ことが土台となります。
そのあらゆるスキルを身につけるのが、このライターというお仕事です。さらに、医療の資格を活かすのであれば、医療分野をより深く知れる「医療ライター」が一番なんです。
もちろん、医療資格がない方でも全く問題ありません。あなただけの強みは必ずあります。
このように長いレターにもかかわらず、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2019年から在宅でオンライン起業を果たし、子どもを育てるシングルマザーとして仕事をしている状況です。
これまで多くの看護学生や医療学生、医療団体、医療従事者、Webライターの方々から相談を受けてきた中で、やはり「働き方」の悩みは切っても切れないものと感じています。
医療の現場で働きながら副業を始める人、看護師を副業としている人、医療ライターを専業とする人など、働き方は人それぞれなので、自分に合った働き方を見つけて欲しいと思っています。
そのきっかけとして、このレターを参考にしていただけると嬉しいです。そして、一人でも多くの医療従事者の方が、現場以外でも資格を活かして仕事ができることを知り、心身豊かに暮らせることを願っております。
石原あゆ